以下は、1年前に書いたブログです。
早くも12月。早いですね。一年経つのは。
前回、地下活動中の日常というブログを書きました。単なる無職状態を、格好つけて地下活動なんて言ってます。
また先日、前職から続いている昼食会のおじ様メンバーと忘年会をしたのですが、「今は、脱藩浪人です」なんていいました。男は、なんか格好つけたがりますね。見栄っ張りな生き物です。
今回は、週末作った料理2品をご紹介。
ひとつは、うちの定番料理なのですが、鶏団子の鍋。これは、単に鶏団子、野菜の鍋でポン酢でいただくというシンプルなもの。
良い出汁が取れているので、締めに麺類をいれても良いです。今回はそうめんでした。
小松菜と白菜を入れましたが、これらは子どもと作っている畑で採れたもの。白菜はシャキッとしてできは良かったです。もうそろそろ大根も取れると思うのでそにらも楽しみです。
さて、もう一品は、パンの耳で作った「即席フェイクピザ」。こういうネーミング正しいのかな。
先日、フレンチトーストで使ったパンから切り落としたパンの耳が冷凍してあったので、それを使って作ってみたら子どもが大喜び。
パンの耳にを、アルミホイルになるべく隙間ないように敷き詰めます。そこに、チーズを振り、マヨネーズ、ケチャップをかけます。チーズは、ピザ用チーズでいいですが、たまたまなかったので、スライスチーズを細かく刻んで振りました。玉ねぎを振ってもいいと思います。
マヨネーズ、ケチャップは、イメージとしては、よくお好み焼きが焼きあがる最後にかけるマヨネーズ、と言ったら良いでしょうか、そんなかけ方をしました。出来上がりイメージはこんな感じです。チープですが美味しかったです。最初から切れているので、子どもも食べやすい、ということに気づきました。
そういえば、私が料理好きになったのは、それも大学を出てから大学院に入るまでの大学院浪人時代でした。土木作業や観光地のアルバイトをしながら、釣り、読書、登山三昧。さらには、3ヶ月半、パックパッカーとして中国を旅行したりしました。開高健の旅行物の本の影響もあったかと思います。
その浪人時代、1冊の中華料理の本に出会って料理を始めました。タイトルは忘れましたが、作家の邱永漢さんのお姉さんの臼田素娥さんの本でした。
毎日夕食で、その本のレシピを再現してました。その後、中国旅行したので、料理本と中国のレストランでの見聞きが大きい影響を与えたと思います。中国では、ズカズカとレストランの厨房に入っていって見学してました。
私の料理好きのルーツをさらにたどると、私の母方の祖父に至るかもしれません。
以前母親のことに言及した際に少し触れましたが、祖父は味に厳しく、母が幼い頃、ご飯を炊かされていました。出来損なうと、池の鯉にあげてしまい、またやり直し。かなりのスパルタだったようです。
外食しても、祖父は母と母の姉妹、弟に対し、「舌で味を覚えておくように」と言っていました。
祖父は、小さい頃貧乏で、大阪に丁稚奉公に行き、金持ちになって帰ってきました。私の生まれた町の隣町で一、二を争うお金持ちになったようです。
私の推測なのですが、恐らく、この大阪時代に美食の経験があり、味にうるさくなったのではと思います。
祖父は、祖母、つまりは母方の母に先立たれ、ある時、レコードを聴きながら心臓マヒでなくなりました。最期に聞いていたのは、菅原都々子の「月がとっても青いから」だったようです。
私の料理に対する執着も、淵源はこの祖父にもあるかもしれません。