檀流クッキングとの出会い

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正直な話しをしますと、私は、大学を卒業するまでは、あまり料理は得意ではありませんでした。作るといって野菜炒めくらい。それも、調味料などは分からないので、焼肉のタレで炒めるというズボラかつ超素人料理でした。自炊といっても名ばかりといっていいくらい。自分で好き好んで作ることはありませんでした。

昔は(今はどうかよくわかりませんが)、賄い付きの下宿というのがあったので、大学2年生まではそこでお世話になりました。ここで一つだけよいことがありました。出されたものをすべて食べることで偏食がなくなったのです。やはり、多少人目を気にするというか、強制力があると偏食もなくなるようです。

大学3年になり、当初から住みたかった東京に移住。しかし、家賃が高いので、世田谷区にひっついている狛江市に住みました。区内よりは家賃が安かったからです。そのころから、奇怪な自炊を始めたという次第です。しかし、このころもう一つ自分の中で変化を起こす要素が入ってきました。その後長くつきあう友人と出会い、その友人が食通であっため、食べ歩きを始めたのです。今でも忘れませんが、その一番最初のお店は、渋谷の台湾料理麗郷でした。今でも時々行くお店です。

この時も実は、まだ大した自炊はしていなかったといえます。ただ、このときの食べ歩きが後の料理作りに非常に役立っているように思います。というのも、その時食べたものを再現したいという欲求が出てきて、自然とデータベースとなり、モチベーションになったと思います。

その後、ひょんなきっかけから、恩師から大学院を受けないかと言われ、大学院受験をすることになります。しかし、受験に失敗したので、リサイクルショップを経営するかなどと考えたりして少し浪人時代が続きます。そして、友人の誘いで中国中をめぐる放浪の旅に出かけました。季節外れで、限りなく無職のバックパッカーしかいないような時期の旅行でした。

この旅行で、あちらこちらのレストランで厨房に入れてもらって見聞きしたのが、第2のデータベース形成時期となりました。これは後付け解釈ですが、この経験は大きかったと思います。そして、料理作りのきっかけの決定打というものに出会います。

私が意識的に料理をするきっかけを作って与えてくれたのは、檀一雄が書いた『檀流クッキング』でした。この本は文庫本で、料理の作り方に関するイラストや写真などはありません。文字だけで、料理を解説しています。

海外を旅行して出会った料理のことや料理のエピソードを交えながら解説しています。やはり無頼派の作家だけあって、単なる料理作りの描写にとどまらず、読みごたえある文章で読んでいて引き込まれ、ついつい、いろいろ作ってみました。

よく作ったのは焼肉でした。檀一雄が、韓国などの食べ歩きなどを踏まえて記したレシピです。にんにくやネギに細かく刻んで醤油などで下味を付けます。結構これは評判良く、以前はうちでも頻繁に作りました。

そのほか、ホルモン料理、おからコロッケなどなど本を読みながら、本を汚しながら作り続けました。私の料理を食べるのは、そのころ故郷にいったん帰っていましたので家族がメイン。家族が喜ぶ顔を見るのがうれしくて作り続けました。

おそらく、檀一雄や北大路魯山人、多くの料理の達人は人が喜ぶ顔を見ながら、料理を極めていったのだと思います。そして、この檀一雄の檀流クッキングこそ私を料理作りに目覚めさせてくれるに力があったものとなりました。

檀一雄の息子の檀太郎さんです。檀太郎さんも料理がお上手です。父親のことを考えると、それも納得できます。おそらく小さい頃から父親の料理を食べさせてもらっていたからでしょう。良い料理を食べさせてもらったという経験からこうした才能を開花させたのかでしょうか。それとも遺伝したのでしょうか。これも私の推測ですがきっと両方なのでしょう。

私も、子供にはいろいろな料理を食べさせたり、一緒に作ったりする経験をさせています。

今日は、私の料理に目覚めるきっかけなどについてお話ししました。檀クッキングは一度読まれることをお勧めしたいです。料理本というだけでなく、読み物としてとらえてもよいと思います。

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