結局は、好みの問題に落ち着い付いてしまうかもしれませんが、今日は究極の選択として、水餃子と焼餃子について考えてみたいと思います。私が、幼い頃に連れて行ってもらった中華料理屋は、今でも原点になっているかもしれません。
その料理屋さんは、ご夫婦が長崎出身でした。長崎は、中華街があったり、ちゃんぽんがあったりと、中華料理的な背景が結構あるのかなと思います。そのお店は、いまはもうありません。そこで食べた細長い餃子、キュウリの千切りののったラーメン、いまでも忘れられません。わたしの餃子の初体験は、そうした特徴のある焼餃子でした。今でも忘れることができないくらい美味しかったですし、
後に水餃子と出会ってもしばらくは、正直言って、美味しいものの焼餃子のカリッとした食感と幼児体験がまだ水餃子の素晴らしさを、押しのけていたといってもいいでしょう。
ただ、その価値観が劇的に変わったというか、両方を客観的に見られるようになったのは、中国を旅行してからです。バックパックを背負ってあちらこちら旅行していろいろな餃子を食べました。餃子は、基本的には小麦文化を背景とした中国の北半分、具体的には淮河以北の主食の一つと言っていいかと思います。
主食なので、北方では、餃子だけを主食にしたり、麺だけを主食にしたりします。例えば、北京などでは、私が旅行した当時、半斤という単位で注文すると水餃子が37個出てきました。大食のひとならそれ以上食べることもできるでしょうか、私にとっては37個くらいがいいところでした。ランチなどで食べるのですが、食べるのは餃子だけ。せいぜい、ゆで汁を飲むくらいで、とにかく餃子だけ食べます。
ただ、この北方の餃子の洗礼を受けっていっぺんに水餃子の虜になってしまいました。例えば、甘粛省の蘭州市というところでは、豆板醤のような辛いペーストを酢で食べるのですが、大変美味しいです。
そうした経験から、日本に帰ってからは、水餃子ばかり作っていました。おかげで私の水餃子は、仲間うちからは評判も良く、いまだに水餃子作って!とリクエストを受けます。
椎名誠さんは、中国を旅した時、水餃子を食べたけれども、やはり日本のアツアツの焼餃子を食べて、ビールで間髪をいれずに流し込むというのがいいという内容のことを書いていましたが、確かに、日本の焼き餃子はそれはそれで美味しいと思います。日本の焼き餃子は、水餃子があまったときに、焼いておいてあとで食べるためのもの、という説もあります。そのあたりは、よくわからないのですが、焼き餃子も中国で食べたことはあります。
以前書いたように、私は自分でも水餃子を作るので、水餃子にもシンパシーはあります。やはり、水餃子のあの少し厚めの皮をじっくり味わって食べるのもなかなかいいものです。ビールや紹興酒、白酒に合います。
究極の選択と言いましたが、水餃子と焼餃子、両方を食べることができる日本はやはりグルメの国と言っていいでしょう。そして、おそらく、餃子のバリュエーションに関しては、世界でも最も多様で美味しいのではないかと思います。本場中国をしのぐほどといってもいいかと思います。それほど、応用力、アレンジ力が優れているのではと感じています。
余談ですが、中国の粉食に興味のある方は、青木正児著『華国風味』を読むことをお勧めします。ちょっと難しいですが、中国の粉食文化に関する古典的名著です。