江戸の醤油革命

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今でこそ当たり前のように濃口の醤油を使って色々なものを食べていますが、関東の醤油が確立されたのは江戸時代半ば以降のようです。

それまでは関西から運ばれた醤油が使われていたとのこと。江戸ではうなぎなどはぶつ切りにして食べており蒲焼きなどはありませんでした。蕎麦も細切りのそばではなく、蕎麦がき的なものが中心であったと思われます。

関東で醤油が作られて、次第に江戸前の味が確立していきます。うなぎは蒲焼きに発展し、蕎麦などは江戸前の細切りの蕎麦が成立してきます。

江戸前の寿司なども、こうした動きを踏まえて同時に発展していきます。お寿司は江戸時代、屋台料理でした。歌舞伎などの帰りにちょっとつまんで帰る、というのがスタイルだったようです。というのも昔は歌舞伎は朝早くから始まり、鑑賞は一日仕事だったからです。お昼にお弁当を予約しておきますが、当然終わることにはお腹が空くといったわけです。このあたり昔の歌舞伎の様子は、落語の「中村仲蔵」で出てきます。私は個人的には、先代林家正蔵(彦六師匠)のバージョンが好きです。

これを江戸の醤油革命と名付けてみました。江戸前は味が濃く、はっきりしていますね。上記の食べ物だけでなく、ごま油で揚げた天ぷらなどもそうです。おかげで今は美味しい東京の食べものがあるわけです。

北大路魯山人は京都出身なので、京料理礼賛的なところがありますが、以前言及した池波正太郎氏などは江戸前の料理も京料理も紹介されておられます。結構江戸前の食べ物をお好きだったようです。

東京の味覚は、この江戸時代の醤油革命に負うところが大きいと思います。

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