いろいろ食文化、高尾グルメなど書いていたら、連想的にかなり逸脱し、ふと祖父が食べていた物を思い出しました。ちょっとげてものの紹介のようになってしまいますが悪しからず、ご容赦ください。
祖父は、明治生まれで、また太平洋戦争を経験したこともあり、野山のものの食べ方を知っていました。例えば、タニシ。魯山人もタニシが好きだったようですが、寄生虫がいるので食べ方は、気をつけなければなりません。
祖父は、私に向かって、タニシを取ってこいというので、田んぼに取りに行ってました。子どもの時なので、味付けはどうしていたか調理の現場を見ることができなかったのでよくわかりませんが、母親が茹でていたと思います。
それと蛇。蛇は、そのまま食べるのではなく、皮をむき、内蔵を取ってから串に刺して干しておきます。こうしておくと保存食になります。食べてみたことがありますが、スルメのような感じでした。
食用ガエルは、父親が時々つかまえて来てました。中華料理などでもあるのでオーソドックスなものかもしれません。ただ子ども心にこんなのを食べるの?と、池や川のをピョンピョン跳ねているのを思い浮かべてはびびってました。もっぱら足を食べますが、鶏肉のような感じです。
あとは、どじょうなども好きでした。どじょうは今でこそ、駒形どじょうなどで有名で高級扱いされてますが、うちの場合は、単なる田舎のワイルドな食生活であり、私は祖父のパシリ、どじょうすくい状態でした。すごい田舎の話ですね。いったいいつの時代だ?
げてものの話ではないですが、ニワトリも良くしめるのを手伝わされました。早い話が、殺して肉にするわけです。こちらは、祖母の仕事でした。しめたニワトリの毛を湯の中にいれてむき、腹を裂き、内蔵を細かく分けていきます。いま考えるとすごいですね。
よくニワトリ小屋が狐に襲われて、何羽か居なくなっていることがよくありました。かっぺですよね。
話しは変わりますが、私の子どもの頃は、お正月などは三河万歳という今の漫才の源流のような芸人が回ってきていました。
野山に囲まれ、自然の恵みにをいただき、濃厚な伝統の中に生きていました。民話の世界みたいです。
私の子どもには、そうした話しは、聞かせるようにしています。日本の昔の食文化の一端を話す事で、食べ物のありがたさを少しでも感じてくれたらと思います。