大地と人間の接点を探った福岡正信

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福岡正信の自然農法

最近は農業への関心も高くなっており、将来の食糧事情を考えると、関心を持たざるを得ない状況にあるといえるかと思います。

私は今から30年近く前に有機農法に興味を持ち、福岡正信の農法のまねごとをしたことがあります。当初は普通の自然農法から始めました。農薬、除草剤を使わず、今までの耕作でかちかちになった土を柔らかくするところから始めました。堆肥を作ったり、鶏糞を使ったり、ミミズを畑にはなしたりしました。時間はかかりましたが、手がすっと入るぐらい土は柔らかくなり、感動したのを覚えています。

完全な福岡正信の農法の実践ではなかったですが、懐かしい思い出です。

実際、そこで育った作物も素晴らしいものでした。果物のような甘い人参、素晴らしく甘みのあるトウモロコシ。自分で作った大根で、韓国人からカクテキの作り方を習って漬け込んだりしました。じゃがいもを作ったときは、1ヶ月半中国をバックパッカーとして回って帰ったらじゃがいもが抜かれていました。要は盗まれていたのです。幸い、小さなじゃがいもがたくさん残っており、それをかき集めて家に持って帰りコロッケを作り、後輩の留学生たちに振る舞いました。自分の畑で採れたじゃがいもでコロッケを手作りする。それは最高の贅沢といえるでしょう。実際すごく美味しかったです。そして喜ばれました。

福岡正信が提起したもの

さて、自分の自慢話が続いてしまいましたが、このコラムで言いたいことは自慢話ではありません。福岡正信のことです。ここでは詳細は述べませんが、福岡正信の農法は、無耕起直播撒きと言う農法でした。野菜の種を泥の団子に中にいれ、それを撒きます。雑草などとともに野菜は育ち、畑というより、里山の光景の中に、野菜が一緒に育っている、そうした風景になっています。彼の農法はアジア、アフリカに影響を与え、海外からその手法を学ぼうとする若者が後を絶ちませんでした。彼の著書に『わら一本の革命』(春秋社)というものがありますが、まさに些細なことから、世界に影響を与えました

日本においては、今でもその農法を実践している方もいらっしゃると聞きます。福岡は、自らの畑において自ら実践することで、多くの人を引き寄せ影響を与えていきます。耕作する上での条件が厳しいところにもその土地に合わせた農法を根付かせていくことに努めます。自分のことに徹することで、自然と回りに影響を与えていく。そんな生き方は、老荘思想を体現しているように感じます。

ここまで書いて来て思うのは、食文化、農業という分野において魯山人、桜沢如一、福岡正信という三人の天才を日本が持ち得たという驚きです。

福岡正信が目指したものが、大地そのものへの思想であるなら、そこからの恵みをどう自然な形で人間が受け入れるかを体系化したのが桜沢如一。そして、その食文化を美的にまで高めました。

換言すると、福岡正信が、大地の一部である人間と大地の接点を極限まで無駄を省いた農法というものを示してみせたなら、桜沢如一は、自然の作物を最も自然な形で、生きることに直結させた食文化を指し示したと考えられるのです。

さらに魯山人は、食材をいかに活かし、器という料理の衣を着せること、また、もてなしの空間までを視野に入れて食文化を芸術の域まで高めました。

この3人の思想を合わせて考えると、大地から美的な領域まで、基礎からその上部に構築される建築物のように重層構造が構築されているとも言えます。実は、こうした食文化こそが日本の食文化の強みであると感じるのです。いや、これがあるからこそ、世界にも影響を与えるような日本の食文化が築き上げられたのだと考えられると思うのです。

この三人の業績は今こそ見直されるべき日本の持つ食文化における財産である思うのです。

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