いまこそ魯山人に学ぶ

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スローフードを超えて

スローフードがいわれるようになってから久しいと思います。調べてみるとそもそもの始まりは、1980年代後半にイタリアで始まった伝統食、地域の食文化を見直す運動らしいです。世界のどこでも同じものをスピーディに供するファーストフードに対するものであるのは言うまでもないでありませんが、食についての大きな問題提起であったとは言えます。

その効果と影響力がどれほどであったかはわかりませんし、ここでは、その問題には触れません。むしろ、そうした運動のモチーフを先取りする取り組みを早くから行っていた日本人に触れてみたいと思います。そこから、改めていま食文化の見直しのヒントを考えてみたいと思います。その人物とは書家、陶芸家、美食家といった多面的な側面を持つ芸術家、北大路魯山人(きたおうじ ろさんじん)です。

魯山人は美食家であり、食文化を芸術的にとらえて、料理道、彼の著作のタイトルを借りるならば、味道を追求しました。彼の味道は、美食倶楽部、星岡茶寮といった美食家、知識人が集まるサロンに結実していきます。晩年は、そこを去り、北鎌倉で自分の料理とそれを盛り付ける陶芸に生き、そこで生涯を終えました。

彼は、その著書、『魯山人味道』(中公文庫)のなかで、料理について美味い、不味い、ということは、ぜいたくを言っているように聞こえるがそうではないのだと語り始めます。彼は、良い材料を殺してしまい、つまらないものにしてしまうのは造物主に対して済まないことではないかといいます。自然が与えてくれたものをあますところなく、生かしきり、美味しくいただくことはむしろ正しいと考えていました。彼が自分の主催する料亭の厨房に入るとゴミが減り、三分の一ほどになったと言います。

いまこそ魯山人の声を聴くとき

日本はデフレからなかなか脱却できないでいます。当然、家計にも影響を与えるのは当然。ファミレスは日本の多くの家庭の食生活に大きな影響を与えているのではないかと思います。確かにファミレスは安いですね。多くの家庭が、共働きだったり、忙しい状況の中で、食に対する省力化を考えるのは当然かもしれません。
材料が高い、共働きなので料理を作る時間がない、そんな日本のご家庭の声が聞こえてきます。

ところで、魯山人は次のように言っています。

同じ費用と手間で人より美味しいものが食べられ、物を生かす殺すの道理がわかり、
材料の精通から偏食を免れ、鑑賞が深まり、
ものの風情に関心が深まり、
興味ある料理に、生き甲斐ある人生が解る。 (中公文庫『魯山人味道』より)

値段の高い材料は裕福な家庭しか手に入りません。しかし、たとえ安い材料でも、複雑な手間をかけず、素材を生かすことで美味しくいただける。それは人生の妙味を味うことにつながりる。魯山人は自分の作る料理はこういう器に盛り付けたい、と言って自作の陶芸も行いました。そして日常生活の中の料理を美的なまでに高めました。まさに自然の恵みを最大限に活かしたいわば、輝くような食、ブライトフードというべきもの作りだしたと言っていいでしょう。

別の話しになります。

ある芸術家から聞いた話です。スペインにいき、ストリートで絵を描いて売っていたら、尋常ならざる人物が立ち止まり、そのひとを家に招いてくれたそうです。家に着くとその人物は料理を作ってふるってくれました。その料理は、崩してしまうのがもったいないほど美しいものだったそうです。その芸術家をさせってくれた人物とはサルバドール・ダリでした。

工夫次第で、日常の料理は大きくすがたを変える、そう思います。いま、魯山人の知恵に学ぶことは、食文化を取り戻すサジェスチョンと思えてならないのです。

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