器は料理の着物

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器は料理の着物、といったのは北大路魯山人です。魯山人は、自分の作る料理はこういう器に盛りたい、といって自分で器を考案したり、自分で焼いたりしてしていました。

私もこの言葉の影響を受けて、陶芸教室で器を作ったことがあります。黄瀬戸の抹茶茶碗を作ったつもりですが、どう見てもおおぶりの飯茶碗でした。陶芸家の人に器を焼いてもらったことがありますが、やはり素晴らしかったです。陶芸家は、窯に火を入れると3日くらい寝れないそうです。やはり芸術家は、すごいエネルギーと情熱を持っています。その方の抹茶茶碗を海外の展示会で見たことがありますが、200万円の値が付いていました。ここまで来るのは並大抵の努力ではできなかったと思います。

自分では、なかなか器に凝ることができないので、外食をした時には鑑賞するようにしています。以前、某有名和食屋さんで、お昼のランチをいただいたのですが、そこで素晴らしく綺麗な、ブルーの小鉢が出されました。一目見て、これは美濃焼の加藤卓男さんの器ではないかと思い、聞いたところ加藤さんがトルコの器からインスパイアされて作られた器でした。ズバリ当たったので、自分でもびっくりしました。しばらく自分一人でドヤ顔でした。

私も父親ゆずりで、よほど器が好きなのでしょう。いまは、友人などが訪ねてきた時には上述の陶芸家の方の作品を使って出したりしています。いつか自分の作った器で、自慢の料理を出したいと密かに思い続けています。

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