油条の思い出

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みなさんは、油条という食べ物をご存知ですか?中国の食べ物で、中国語では、ヨウティアオ。細長い揚げパンのようなかたちをしていて、お粥に入れて食べたりします。素朴なあげぱんといった感じです。

私がこれを知ったのは、友人と横浜中華街の謝甜記(しゃてんき)でお粥を食べたときだと思います。田舎から出てきて大学の友人と初めて行った中華街で食べたお粥。そこで出会ったのが油条でした。お粥の上に乗っかった香ばしくパンのようなものはなんだ?初めて触感と衝撃でした。

その後、東京のど真ん中で油条に出会いました。昔、飯田橋に大仙というお粥専門のお店がありました。

ここは恐らく知る人ぞ知るといったお店で、佳作座という名画座の並びのビルの2階にありました。私は、大学時代、名画座で古い映画を時々見ていました。私の場合は佳作座には行かず、佳作座の近くのギンレイホールというところに行っていました。

今では、名画座は少なくなってしまいましたが、私が大学生の頃は、多くはないですがありました。他では、三軒茶屋の三軒茶屋シネマでしょうか。そこももう閉店してしまっていると思います。音楽映画3本立てといった感じです。ギンレイホールで最初に見たのは、ウッドストックのドキュメンタリー映画とロックミュージカル「ジーザス・クライスト・スパースター」だったと記憶しています。

さて、このお粥のお店は映画の帰りに小さな看板で見つけました。そして、ふらっと入ってみました。

お客はだれもいず、私だけでした。お粥を出してもらって食べると、これがまた美味しい。そして油条も置いてあったので、注文して食べました。都会のど真ん中にこんな隠れたお店があったことは感動だったのでご主人にお話しを聞きました。

ご主人のお話では、以前は製粉会社に勤めていらっしゃったそうです。若い頃中国で育ち、その頃食べた油条が忘れられず、仕事の傍、油条を自分で研究して再現し、味の改良を続けきたとのことでした。とうとう矢も盾もたまらず脱サラ。お店を持ったということでした。

そんなに油条に魅了されたのか、と感動してしまいました。たった一本の油条が人生を変えたわけです。油条一筋の人生。すごいですし、感動してすぐにファンになってしまいました。また、中国での強烈な印象と忘れられない素朴な味が、ご主人を駆り立てたということだと思います。

ご主人はいろいろなお話しをしてくれました。時々来るお客さんの中に作家の開高健さんがいました。彼はお粥が好きだったようで、飲む時につまみとして食べるのが好きだったとのことです。

開高さんは、こうやって食べるのが本当の食べ方だ、といってベトナムで食べた時のように、しゃがんで食べていたとのことでした。彼は従軍カメラマンとベトナム戦争を取材したしていて、ベトナム人のライフスタイルをよく知っていたからです。たしかに、中国やベトナム、その他アジアの国では、言葉は汚いですが、うんこ座りをしてご飯をかきこんだりしています。

大学時代よく開高健さんの小説を読んでいたので身近な存在になったような気がして嬉しかったです。たかがお粥かもしれませんが、私としては忘れられない思い出です。いまこのお店はもうないと思います。

この経験と出会いから、さらに中国料理への傾倒が大きくなったということが言えますし、私の開高さんへの傾倒も大きくなっていきます。酒と食事。開高さんに影響を受けて自ら探索するようになります。

そして、後に彼が出演した「モンゴル大紀行」というドキュメンタリー番組は私にとって決定打になりました。中国やモンゴルを旅したい!という衝動に駆られていきます。

そして同時にこの衝動は、料理を作るということに対する関心を伴ったものになっていきます。


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