水と米

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幼いころの経験

皆さんは、タイトルの二語を読んで何を感じますか?

和食の基本。なくてはならないもの。それ自体は味は薄く引き立て役。いろいろ想像されるかと思います。

今回は私の幼い時のことや、和食の一端をお話ししたいと思います。

私が幼い時、家はあまり豊かではありませんでした。父は石積み職人で、母はいつも職の安定の必要性を言っていました。石積み職人の仕事は天候に左右されます。そのため、会社員、あるいは公務員のような安定した収入のある職業のことを言っていたのだと思います。

豊かでない上に三世代、8人家族が1つ屋根の下で暮らしていました。祖父、祖母、父、母、そして兄弟姉妹4人。今考えると、食事の支度をするだけでも、母は大変だったと思います。米や野菜は、田んぼと畑があったので自給に近かったです。

釜で炊いたごはんと井戸水

ご飯は8人分でお米の量だけでも、升単位で炊いていたと思います!母は、薪をくべて御釜で米を炊いていました。水は井戸水でした。その米の美味しさを忘れることができません。水道水でない水と御釜で炊いたお米が組み合わさった時、和食を家に例えるなら、土台ができたようなものです。ただ、その土台はじっくり味わうと自身を主張し始めます。自然の旨み、甘さがじわじわと広がります。ただ煮上げた大豆、蒸しあげたばかりのもち米などでもそうです。一度やってみてください。

薪でご飯を炊くのは結構難しいです。母は慣れていたので、手際はよかったです。ご飯の薪だけは、火加減が大切なので母がくべていました。むらしの加減などは非常に難しいです。ただ御釜で炊いたご飯は大変美味しく、今でも忘れられません。最近は、電気炊飯器の質が向上しているので、御釜で炊いたご飯と同じような効果をあげることができるようになりました。また、和食屋さんなどでは釜で炊いたご飯を売りにしているところもあるので、外食産業も競争によって質が向上しているとも言えます。

そして、そのご飯を炊くための水は井戸水でした。今は、井戸水を使っているところは少なくなったと思います。当たり前のことですが、井戸水だとカルキ臭さはありません。ありません。水道水が家に引かれたときは、最初は飲み水では使っていませんでした。お風呂に使うとか食事には使わなかったです。

この水道水を使い、御釜で炊いたご飯の美味しいこと。

そのお米と水という基礎の上に、色々な料理という構築物が構築可能です。

私の母は料理が上手であったので、おかずもバリエーションがありました。とはいえ、やはり古い世代の人なので、和食中心でした。唐揚げなどは、醤油ににんにくを入れた特製だれを作っていました。漬物や味噌なども手づくり。私もよく、漬物を漬けるのや味噌づくりを手伝いました。ある意味のんびりとしたものです。

井戸水と御釜で炊いたご飯というベースの上に、手づくりをベースにした調味料、自家栽培のお野菜などが加わり、我が家の家庭の味ができあがっていました。

母は女中奉公をしていたこともあって、大人数のための料理が得意で、量の調整は自由自在でした。母方の叔母がお客さんを大勢連れてくることがありましたが、皆さん私の母の料理に感動していました。

お味噌汁などは、お豆腐屋さんで作られたお豆腐と油揚げ、ネギが入ったお味噌汁など組み合わさったら最高です。まさに、料理のハーモニーです。そう考えると、料理は総合力というか結合力が大きな力を発揮するするということがわかると思いますし、総合的な芸術のようなものだと思います。

米と水。幼い頃から美味しいお米と水に親しんだ私は、そのせいで食いしん坊になり、いまブログを書いているという次第です。

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